mouseionのブログ

アニメ感想中心だけど、たまーに色々考察します。

宮城谷昌光『孔丘』 雑感 孔子でなく孔丘を書きたかったという事。

相変わらず面白くて相変わらず最初の勢いが怒涛でそれが後半になると段々緩やかになるのが先生の特徴だけど
今回はそうじゃなかったね。
魯で起きた国家を揺るがす大事件から10数年間衛や楚、陳などに亡命して再起を図ろうとするんだけど中々時節に恵まれずようやく帰国が叶った時には息子の孔鯉、顔回(顔淵)や仲由(子路)といった高弟が相次いで亡くなって70余歳に至ってようやく病を得てそのままポックリと逝った孔丘だけどその教えは既に弟子や友人らによって国内外に広められて儒教に変遷していったという流れは後半読み進めて行けば分かるけど邑の防壁をぶっ壊すのはやっぱり破戒的というかちょっとヤバい行いだと思うので孔子の意図が伝わってる今日であれば理解出来るけど当時は敵が襲ってくる可能性があるからこそ防壁はあるべきなんだって至極当たり前の事を危惧されて孔子は、魯を滅亡寸前まで追い込んだ陽虎のようだと危険視されても仕方なかったかなって思うな。ただそうした経緯から他国へ亡命しまくった、ここから孔子が如何に優れた人物だったのか、名誉回復しようと弟子たちが色んな触れ回る布教の旅路が同時に始まったみたいなね。もし大臣のままであったら子産の模倣で終わり今日のような絶大な支持を受ける事はなかっただろうと先生説明してたけど、魯や斉で有名だっただけで終わったかもしれないね。
また、あとがきで司馬遷があんまり孔子を尊ばなくて文体とか解説が軽いというのがあったけど、そもそも司馬遷は晏嬰を物凄い尊敬してたからその影響もあるんじゃないかと思った。
つまり孔子が斉の景公の頃に遊説してた折に時の宰相晏嬰と衝突したという事から、司馬遷は晏管子つまり晏嬰と管仲を別伝を立てる程尊重してたから孔子に対してはむしろ一歩引いた所から見てた可能性があるよね。という事から孔子は割と後世でも評価の割れる人だったのかなと僕は思う。
だから先生も孔子を書くのは難しいといして孔丘を書いたって所なんだろうな。