とりあえずおつかれ。
つむぎ死なねえかなとかいつも思ってた。子育てってタイヘンだなあって思った。こんなADHDな娘を育てるのが公平お父さんじゃないと無理だろって話。
今まではお母さんがやってくれてたんだと思うと益々このクソガキ生意気だって気持ちになる。もう1回忌なのにね。
つむぎは知的より精神かもしれない。園児にしては落ち着きが無さ過ぎる。精神は、幼児期からその兆候があるというんだけど、落ち着きが無さ過ぎる場合微妙に知的より精神を疑った方が良い。その点つむぎは基本黙らない。黙る時はとてつもなくムスっとする。強弱がはっきりしてる。うん、こう書いていくとつむぎは精神かもしれないと思えて来た。知的じゃないな。知的の人は基本的に黙ってる人が多いし、いやな言い方だけど知的の人は両極端で極端に黙ってる静かなタイプか電車の中でも平気で騒ぎまくって如何にもヤバい人だと他者に認識されるような人がそうで、大体そのどっちかしかいない。その点普通の人間的な笑顔も出来るし、よいこにもなれるつむぎは、その傾向からADHDかもしれないと思った。いわゆる先天性ADHDないし発達障害の子供がつむぎのような子を指すのだろう事はよく分かった。正直高畑Y太さんもこれだから、つむぎは多分これから悩んで行く事に為ると思う。考えたら、ニューゲームのねねっちも青葉ちゃんというかけがえのない存在がいるように、つむぎにも公平お父さんというかけがえのない存在がいる。言うなればADHDである根拠となる、共依存的な人間が身近にいるという条件が成り立つ。これは筆者個人の認識だが、共依存を持つ人ほどADHDの傾向があると見ている。確証はない。あくまで状況的根拠に過ぎない。
実は恋をする少女もADHDになり易い。少女漫画や恋愛小説を見てもそう、恋は盲目だといって何も見えてない様はまるで注意力が欠如していて真面目な話なのに少しほろっとしてしまう、そんな内容になりがちだ。その点甘々と稲妻では、ちゃんとそれらギミックに対して止め役ともいうべき存在が中心的役割を担っている。それが公平お父さんであり、小鳥しゃんを含む周囲の優しい人達の存在だ。
つむぎは恵まれている。恵まれすぎているから、某高畑さん家の嫡男と同様に浮かれすぎてしまって、いつもお父さんや周囲を困らせる。それなのに自分が悪い事を周りに何度も諭されないと気付かない。多分非行に走っても誰かが悪いと決めつけて自身には何の類も及ばないと思い込む、それがつむぎの本性だ。
つむぎの精神的な幼稚さや異常さがこのアニメをとてつもなく優しい世界に形成するためのお邪魔キャラ、いわばトラブルメーカーとしてこれからも周囲を悪い方へ巻き込み続けるだろう。このアニメにはその怪しさをよく感じる。このアニメは名作だ。非常に面白い。つむぎのようなガイジキャラがいてくれれば、これからももっと沢山のエピソードをこしらえる事が出来るだろう。なるほど、美幼女なので成長するとガイジ美少女というラブライバー好みのヤバい一人の女の子に成長するのだと思うと今後の成長に期待を禁じ得ない。是非つむぎは変なままでいて欲しい。切に願うばかりだ。