mouseionのブログ

アニメ感想中心だけど、たまーに色々考察します。

5月5日こどもの日にこいのぼりを上げる事に最近違和感を覚えている。

3月3日に雛人形を飾るのは伝統文化なので分からんでもないけど、
5月5日にこいのぼりを各家庭で上げるのには納得がいかない。
以前書いたと思うけど、鯉は在来種もいるけど基本は中国などから輸入したれっきとした外来種なんだ。
で、外来種ってのは日本の在来種の特徴である大人しく草食性の高い生物が多いんだけどそれとは全く異なって雑食性で繁殖能力が異常に高い。
一時期流行ったハブとマングースマングースみたいなものだね。
あれも野生化して爆発的に増加しもはやハブとマングースショーを沖縄でも一部しかやらなくなる程外来種への危機感が募っている。
話を戻すと、外来種を崇める文化みたいなものが定着してきた背景がよく分からない。
確かに江戸時代の町人文化の過程で浮世絵などに描かれる様になった鯉だけども、これをのぼりにして旗印にしたのはいつだったのか、これは特に問題ではない。
しかし、端午の節句に倣って鬼は外、福は内の如く日本は長い間文化を共有し、町人文化の礎としてきて今日に至る。
それは今は何となく違和感がある。
すなわちこいのぼりを上げるという事自体に違和感を覚えた原因が近年急激に増加し、在来魚が減った原因となってしまった事に尽きる。
以前は男の子なのだからこいのぼりを上げる事に何ら違和感を覚えなかったけれど、今こうして外来魚の問題が社会問題と化した今となっては、
何故端午の節句とはいえ、日本の歴史文化とはいえ、それでもこいのぼりを、ないし鯉を崇める事に違和感を禁じ得なくなってしまった。
何故外来魚をこんなにも崇めてしまってるのだろう。
これはもはや違和感だけが解決してくれるんじゃないか。
逆説的に見れば、この違和感の正体こそがこのこいのぼりである、とする。
要は鯉を崇める文化は長らく存在してきたが、それに対していよいよ忖度する必要が出てきた。新しい文化にする為に一度こいのぼりを下ろしてみようじゃないかという気持ちになってきている。
今は何十万何百万の価値を有したという錦鯉でも、今はそれらが外来魚なのだと知ると価値がなくなったと感じる。
外の世界に触れてみて初めて分かる事もあるという事だ。
それは鎖国社会だったからこそ、海外から直輸入された素晴らしい鯉を在来魚として認め、崇める様な町人文化となり、その末に端午の節句にこいのぼりを上げる様になったと見た方が随分分かり易いのでないかと思う。
つまり現代日本はグローバル社会なのだから、今こそこの古い慣習を改めるべき段階に入ったのかもしれない。
外来魚を崇めるのでなく、近年発見された日本固有の在来鯉に変えて改めて信奉してみる時期なのかもしれない。
在来の鯉を保護して錦鯉など外来種を駆逐していくという形もありかもしれない。
それによってこいのぼりを上げる昔ながら文化はなくならないが、色合いが少し変化するかもしれない。
保守的に見れば、外来魚である錦鯉を崇める文化は江戸から昭和、平成の今までとしてこれからは在来魚のノゴイ・マゴイを日の目を見る様に活用して行きたいところ。
そうすればきっといつかはこのこいのぼりを上げる事への違和感も拭い去る事が出来ると思う。