mouseionのブログ

アニメ感想中心だけど、たまーに色々考察します。

昔読んだ本で「女は子を産み育てるのを生業とし・・・」という一節があったが・・・

もし男に女の機能が備わっていれば「男は子を産み育てるのを生業とし・・・」という風になっていたのだろうか。
実に哲学的だけど、こういう考えをそのままアカデミックに持ち込むと痛い目を見るのは間違いない。
何せ男には女の機能がないのだから、逆説的議論を持ちかけても良くて水掛け論にしかなりえないのだ。
どうあっても女に生殖機能が備わっているから、女が子を産み、そして育てて行かなくてはならないと、議論は必ずそこが終着点になる。
男が例えば性的に女性と何ら変わらない機能を身体に有していれば、少なくとも本書で当然の様に女の義務と書かれる事は減るものと思う。
となると、女が子を産み育てる部分を男に改変修正する事も可能性としてはなくはないのでないか。
女がこれまで担ってきた仕事を男が肩代わりできるのであれば、皆そうしてきたため、
今日ではそういう男性を主夫と呼んでいる。
あくまで“育てる”というポジションにおいてではあるが。
従って男にも女が担ってきた生業の半分を担える事が証明されたが、何といっても女は妊娠し出産する機能を備えており、
それが結果的に女が子を産み育てる事を前提とし、位置付けているので、これをどうにかしないといけないのだが、
どうあっても生物学的にも医学的にも科学的にも突然変異でもなければ、男がこれを有する事ができないのは理不尽で不都合な事実である。
また、女が女である事を喪失する為に必要な事を考える、という手もある。
つまり子宮を摘出するというものだ。
しかしながら当然ガンなどの病的リスクを持った身体で無ければ非人道的であるし非生物的でもある。
そして何よりそれは命の危険性とも闘わなくてはならないという絶対的リスクが伴うものである。
そうした観点から、やはり女から女性の権利・機能を奪う事による慣習破壊には至らない。
結局の所、何千年にも渡り、男は女のある意味では幸福であり、ある意味では不幸でもある生殖機能と母性に対して取らなければならない方法が殆どない事に皆が気付いている。
だからこその主夫という決着なのかもしれない。
男には女の妊娠・出産という機能を奪ってやれない以上は主夫として彼女らの痛みを和らげてやるしか彼女らの恩に報いる事ができないのだ。
総じて、女は子を産み育てるのを生業としなければならない以上、パートナーである男は女の痛みを和らげる努力をする他にないという現状を維持するしかない。
つまり女が今主張している全ての事象に対して男は必ずしもそれを達成する必要はないが、彼女らの痛みを和らげる努力をしていかなければならい事はたしかであるし、何よりそれが“愛”というものではなかろうか。
男は女を愛する事でしか、女の痛みを和らげる事は不可能だ。
ならば、男は女を愛する事で痛みを肩代わりしてやるべきである。
そうして男は女の生業を行う事に繋がるのである。