mouseionのブログ

アニメ感想中心だけど、たまーに色々考察します。

春秋五覇という格好良い称号について

古代中国は春秋戦国時代周王朝下における覇者五名を指すんだけど、斉の桓公、晋の文公、宋の襄公、楚の荘王、秦の穆公を指す。他に呉の闔閭(漢字一発変換できたw)やその息子夫差、越の勾践(こちらも漢字一発変換できた)、楚の成王(荘王の父)が入るらしいけど、この人達も司馬遷史記に登場して大活躍する王や公のお方で名君と称された人物。一部というか、臥薪嘗胆の元になった夫差と勾践は最初期は名君だったけど、夫差は名宰相伍子胥を自殺させ、勾践は奇才范蠡に逃亡され名臣文種を殺害するなど晩年が酷い君主なので個人的には覇者とは言い難い。また、個人的に会盟に参加はしてないけど、名将楽毅を伴って超大国斉をあと一歩まで追い詰めた燕の昭王や名臣が揃いまくってた趙の武霊王とその子恵文王、秦を超大国にのし上げた伝説的猛将白起や名宰相范緒を従えた昭襄王などを挙げたい所だけど、考えたらこの頃って戦国時代に入るので、春秋五覇でなく戦国五覇と言った方が正しいかもしれない。三国志でいう、曹操袁紹袁術劉表孫策(孫権)といった群雄の様なものだろうか。
それにしても春秋五覇には等しく名宰相がその実権を握っていたのは伝わっているけど、明確に衰亡を辿ったといえるのは斉の桓公だけかもしれない。何せそれだけ管仲が優れていたという訳なのだ。然るに彼の死によって桓公の政治生命や王命は絶たれたといってよく、彼の晩年は彼が重陽した三人の佞臣によって崩壊したといわれ、彼無くして桓公はなかったとまで称されてしまっている。悲しいかな、こういった例は割と多い。
しかし、実際優秀な官吏なり軍師なりがいて覇業が為されている訳だからそうした賢臣をあっさり殺してしまうのは暗君以外の何者でもない。三国志でいえば袁紹であったり孫権であったりがそうだろうか。劉禅は殺す殺さないの中枢にいてその判断を部下に委ねてしまっていたので暗君とは必ずしも言えないと思う。ただ、そういう王様なり公なり皇帝なりは必ずその死後に“霊〇(王とか公とか君とか)”を授かるので劉禅は死後そういった称号を貰っていないので実際暗君だったかは分からない。三国志の話はこの位にして、春秋五覇を考えたい。例えば、これまた三国志の話になるけど、曹操なんかは周の文王になりたかったという事らしく王を名乗りつつも最後まで後漢王朝の献帝の臣下であり続けた。このように統一国家の臣下である事がある種の誉れであったように春秋五覇というのもある意味ではそうした者に傾倒ないし服従の姿勢を見せる事で国家安寧を促す働きを全国民に知らしめたといわれているので、要は周王室に連なる公室連合の代表者になる事で覇業を示すというやり方が当時の流行であったので、春秋五覇とは周王室を戴いた王侯貴族の歴代代表者を指すといってよいだろう。
個人的には、春秋五覇は人格的にも優れ、容姿は問わないが風格つまりオーラとかカリスマを備えた王侯である事が重要だったと思われるので、そういう人たちが何を以って春秋五覇に選ばれるような崇高な人物だったのか非常に気になる所があるし、その文献なり二次創作物なりを読むのは痛快で面白い。
なので、春秋五覇に対する異議がこれから出る事があれば、その人物ひととなりが分かる資料とかが出れば本当に良いなと思う位には、春秋戦国時代を彩る歴史の代表格として愛している。
まあ、歴史好きにはたまらないよね?って話。

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