mouseionのブログ

アニメ感想中心だけど、たまーに色々考察します。

バッテリー 総評 これは野球アニメではない、やきうアニメだ!

巷でホモ野球アニメ、ついに野球をやる!で野球のやの字も知らん本作のスタッフ達が漸く本気を出したと喜んでたが、
最終回の評価で、魔法戦争級だという話をちらほら聞いたので戦々恐々としていた。
でもあの望月智允監督ならきっと素晴らしい世界を見せてくれるに違いない!そんなちっぽけな確信が僕の頭の中で麻痺気味に警告してた信号から目を背けていた。



結論から言えば、望月智允老いたりという印象だった。
名匠望月智允を信じていたけど、今回ばかりは彼という監督・演出家・脚本家を信じられない。
ずっとホモホモしいってどうなんだろう。
野球アニメにはツキモノのライバル対決における敵味方双方の気持ちを描くシーンは、なるほどこれを描く事で野球における対決が面白くなるに違いないが、本作ではそんなものは一切なかった
これはあさのあつこが悪いのか?いやいやこれは見せ方の問題だろう。なので、望月智允監督の責任だ。



そもそもバッテリーだから主人公の原田巧と永倉豪の両方を主役に立てた物語なので、要は彼らを中心に話が展開されなければならないはずなのに、物語の中盤からは巧の球に執着する(執着した描写はない)門脇秀吾とそんな天才バッターに嫉妬しまくる相方瑞垣俊二の話になっていた。あいつらってバッテリーなのか?という疑問を他所に巧に嫉妬する門脇に横恋慕する瑞垣の構図が展開されていくバッテリー。巧に対して一抹の不安を覚えつつも彼について行こうとする豪の姿が少しばかり描写されるものの、その殆どは全て門脇と瑞垣の恋愛模様に費やされていくのだった。
こうして見るとホモ野球と揶揄されても文句はないが、野球アニメとはライバル対決の他に練習風景もまた醍醐味であるし、野球チームとしてナインで戦って行くという内容が定義付けられている(と見てる)が、ほぼ巧の心理描写と、豪の空回りする風景と巧のアスペルガーに対する豪の献身的介護の姿が見えるも、他のメンバーとの会話は、展西のいじめ問題が解決すると共に次第に無くなっていった。
最終回でようやく野球の試合が展開されてようやく野球が見られるのかとワクワクしたものの、尺の問題かそれとも無関係の話題(門脇というより瑞垣の嫉妬描写が多すぎた事)を挿入し過ぎた結果、折角の巧と豪そしてチームメイトとの関係についての描写も何だか軽く感じてしまった。
要するにこのアニメ、尺が問題などではなく、結局監督がバッテリーというアニメで見せたい物が視聴者側には全く伝わってなかったのであった。



総じて、アニメ「バッテリー」は原作が鬱になるほど心理描写が緻密かつ丁寧である事に定評があるが、本作はイジメシーンも大人の事情で軽く、また、巧と豪が真の意味で和解し、バッテリーとは何ぞやという作者の想いを一方的にふいにしたといえる。
その意味で、アニメ「バッテリー」はアニメ化に失敗したと一言で片付けられる程、心理描写が拙い印象しかなかったと考える。
結局わだかまりが残ったまま臨んだ二組のバッテリーが見せた野球とは、一切詳細が分からないまま、ただ漠然と野球の試合らしきものを眺めさせられていたに過ぎなかったのだ。
とても本作を野球アニメ、とば言いたくない代物である。
野球しろよと言うが、そもそも野球アニメとはチーム同士で戦うものであり、バッテリー二人だけの物語ではないのだ。
そして、何故ライバル側の心理描写を念入りに演出したのか。そもそも巧と豪の問題は未だ解決の糸口を見いだせていないにも拘らずである。
どう考えてもアニメ「バッテリー」は得てして失敗したという他ないのである。